[タレント 松本明子さん]便秘

40年超す苦しみ 「腸活」で改善

快活なキャラクターで親しまれている。でも、幼い頃からの便秘に、40年以上苦しめられてきた。

 45歳で始めた腸をきれいにする“腸活”で、腸内環境の改善に成功。明るく楽しい「あっこ」が戻ってきた。

 高松市の出身。10歳上の兄がいたが、一人っ子同然に家族の愛情を集めて育った。母は自分の果たせなかった夢を娘に託すかのように、3歳頃からピアノ、バレエなど多くの芸事を習わせた。父は仕事から帰ると、かわいい娘を時々、地元のスナックなどに連れて行き、歌わせた。

 公園で母と遊んでいると、カメラマンに声をかけられ、地元の広告に登場するようになった。地域ののど自慢大会で、好成績を収めるようにもなった。

 「歌手になって、テレビの中に入りたい、と思うようになりました」

 幼稚園に片道1時間かけて通い、小学校へも45分歩いた。途中、便意を催しても我慢する癖がついた。もともと3歳の頃には、数日間お通じがないと、母に「お尻出して」と、定期的に浣腸かんちょうしてもらっていた。便秘は成長と共に重くなった。

 多感な中学3年の時、上京を決意した。大反対した父に、母が初めて抵抗した。「あの子の願いを聞いて」。離婚を覚悟し、懸命に説得してくれた。中学を卒業した十五の春、宇高連絡船で盛大な見送りを受けた。

多忙、海外ロケ おなかカチコチ

 単身上京し、高校に通いながらオーディションに挑戦した。難関のテレビ番組「スター誕生!」に合格し、17歳でデビュー。でも、ヒット曲には恵まれなかった。

 翌年、アイドル歌手にふさわしくない失言騒動を起こし、一時期、芸能活動停止にまで追い込まれた。同じ事務所で寮生活をしていた1歳年下の中山秀征さんが、声を掛けてくれた。「オレのいるバラエティー班に来ませんか」。この誘いが転機となり、バラドル(バラエティーアイドル)の活躍が始まった。

 1995年、28歳の時、レギュラー出演していた人気番組「進め!電波少年」で、突撃企画を成功させ、話題となった。ノーベル平和賞を受賞したPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長に、紛争地帯の現地でアポなしで面会することができた。

 「機関銃を持った人が大勢いる建物の前で、『アラファト議長に会いたい』と書いたプラカードを首からぶらさげて長時間座り込んでいたんです。突然、OKが出て、うれしくて、議長にハグしようとしたら、護衛が拳銃に触る音がしたので、やめました」

 仕事は順調だったが、多忙なスケジュールや海外ロケで、便秘はひどくなった。「おなかはカチコチで、海外だと全く音沙汰なしです。この頃から、急に汗をかく、更年期障害のような症状にも悩まされました」

妊娠中、トイレにこもる日々

 32歳を目前にして、6歳年下の俳優、本宮泰風もとみややすかぜさんと結婚した。翌年に妊娠。和食と野菜中心の食生活に改めたが、便秘はますますひどくなっていった。

 出るのは週1回、ウサギのふんのようなのが数個。目立ってきたおなかが、おめでたか便秘によるものか、わからなかった。

 一般に、妊娠すると体内環境を整える「黄体ホルモン」が大量に出て、腸の働きを鈍らせる。大きくなる子宮も腸を圧迫して便の出が悪くなり、多くの妊婦が便秘がちになる。これに幼少からの便秘体質が加わったから大変だ。

 「トイレに2時間以上座っている日が続きました。時には5、6時間こもったことも」。防寒対策を万全にして、携帯電話を持ち込み、編み物をしたり、出産後に出すエッセーの下書きをしたりして過ごした。

 2000年、3180グラムの男の子を無事出産。2日後、たまっていたものが大量に出て、一安心した。母、妻、タレントの仕事を続けた。でも、40歳を過ぎると、浣腸かんちょうも効かなくなった。

 その頃同居していた母は、亡くなるまでの2年間、消化物が腸に詰まる「腸閉塞」に苦しめられた。母も重い便秘持ち。激しい腹痛で、何度も救急車で運ばれた。

 「私と母はよく似ている。将来、家族に迷惑をかけたくないので、長年の便秘を治し、健康な腸を手に入れようと思い立ちました」

肛門から胃の手前まで…4キロの詰まり物

 便秘を本当に治したいと決意したが、解決策がわからないまま5年が過ぎた。首まで吹き出物ができ、極度の冷え性と肩こり、睡眠障害、食欲不振などで、体調は最悪になっていた。「性格も暗くなったのが、自分でもわかりました」

 45歳目前の2011年春、テレビ番組の便秘解消企画が舞い込んだ。「わずかでも治る可能性があるのなら、その可能性にすがりつきたいと思いました」

 大学病院の便秘外来でレントゲン撮影をすると、腸に約4キロもの詰まり物があることがわかった。「苦労して産んだ息子より重たいのが、肛門から胃の手前まで。手術が必要な危険レベルに近かったそうです」

 末期の便秘症と診断された。便を肛門へ送り出すポンプのような働きをする、腸の収縮運動(ぜん動)が弱っていた。さらに、ストレスで、腸の健康に影響する自律神経のバランスが悪かったのが原因だった。

 処方されたのは、消化剤と整腸剤に、ガスを出す薬の三つだけ。主治医からの指示も、起き抜けに水を一気飲みする、決まった時間にトイレに行く、便器に座って体をひねる――など、簡単なことばかりだった。

 「強力な下剤でも使うのだろうと想像していたので、拍子抜けしました。先生は『頑張らなくていいですよ。忘れても気にしないで』と言ってくれたので」

小石→塊→山盛り 宿便4キロ消える

 便秘外来に通って間もなく、“奇跡”が起きた。数日たつと、小石みたいなのが2、3個。また数日後、少し塊が出て、次の数日後には山盛りが。2週間が過ぎた頃には、4キロの宿便が消えていた。

 「残便感のない爽快さを初めて味わい、柔らかくなったおなかをなでると、涙が出てきました」

 直ちに“美腸”作りを開始した。「腸内細菌の大好物の乳酸菌と食物繊維を、意識的にとるようにしました」。ヨーグルトのほか、納豆、キムチを冷蔵庫に常備。腸を刺激する運動も始めた。「出ても、出なくても、毎朝5分、便器に腰掛け、ロダンの『考える人』のポーズなどをとっています」。散歩気分で30分のウォーキングも続けている。

 顔中にあったブツブツが、いつの間にか消えていた。冷え性や、食欲不振なども改善された。周囲から、「よく笑い、性格も前より明るくなった」と言われた。

 美腸生活から2年が過ぎた頃、テレビ番組でお肌年齢は「実年齢よりマイナス12歳」と診断された。「美腸は、最もお金をかけずに出来る美容術なんですよ」

 「趣味はこの子一筋」の一人息子も、自分が単身上京した時と同じ、15歳になった。便秘解消の体験を本にまとめ、半生を支配した便秘にサヨナラをした。

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