[元サッカー日本代表 ラモス瑠偉さん]脳梗塞

妻の119番通報で助かる


Jリーグ草創期を支え、日本代表の司令塔として活躍。現役引退後も指導者や解説者として日本のサッカー界の「顔」であり続けている。公開試合などでも衰えないテクニックを見せつけ、周囲を驚かせる。

病気とは無縁に見えるアスリートが突然、病魔に襲われた。

 昨年12月29日朝、体がけいれんしてベッドから転げ落ちた。起きあがれない。顔が真っ青になっているのを妻の俊子さんが見て、「救急車呼んだ方がいいんじゃない?」と119番してくれた。

 年明けに予定されていた日韓OB戦に向けて激しいトレーニングを重ねていた時期。「ただの疲れ。点滴をすれば治る」ぐらいに考えていた。だが、この時の俊子さんの判断で、命拾いすることになる。

 病院で目を覚ますと、医師たちが「脳 梗塞こうそく です。再発するとまずい」と話しているのが聞こえた。脳梗塞で亡くなった仲間がいたことを思い出し、震えた。「もう1回、娘と息子と妻の顔を見させてほしい。生きるチャンスを下さい」と神様に祈った。

 脳の血管に詰まった血栓を溶かす薬を点滴し、30時間安静にして、2日後には歩行器で歩けるようになった。医師から「早く救急車を呼んだことが治療につながった」と聞かされた。「あの時、ベッドに戻ってもう一度寝ていたら死んでいたかもしれない。妻のおかげで救われました」


寝不足、疲労 大きな血栓

 脳 梗塞こうそく は、年配の人の病気。まさかまだ若い自分が――と思っていた。

 自分の脳の画像を見せてもらった。血管を塞ぐ血栓に思わず「大きいですね」とつぶやくと、医師は「死んでもおかしくなかったんですよ」と教えてくれた。

 ストレスや睡眠不足が脳梗塞のリスクを高めるとされる。2014年から昨年7月までJ2・FC岐阜の監督を務め、目まぐるしい移動で毎日の睡眠時間は4、5時間。試合の合間にはスポーツ振興のため、自治体への働きかけや地域の人たちとの交流に積極的にあたり、疲労もたまっていた。

 世界中から「あなたなら乗り越えられる」とメッセージが寄せられた。元日本代表監督でJFL・FC今治オーナーの岡田武史さんからはチームアドバイザーを打診された。「自分を待ってくれている。ベッドで寝ている場合じゃない」との思いを強くした。

 回復は驚異的だった。発症1週間後、階段の上り下りを始めた。医師から「体が元気でも脳がついていかない。むちゃしないで」と止められた。

 1月下旬にリハビリセンターに移った。走って帰れるようになることを目標に掲げた。だが、うつぶせで左足を曲げるよう指示されても曲げられない。「このまま治らないのか」との思いもよぎったが、先生に「あなたの頑張り次第」と言われた。自分との闘いが始まった。


現役時代も命の危機

 リハビリは毎日3、4時間。「自分より苦しんでいる人がいる。何だ、この程度で」と踏ん張った。

自らの発案でサッカーボールを使ったリハビリを取り入れた。最初は思うようにいかなかったドリブルもできるようになった。左足だけのリフティングは、発症前より多い25回も。妻や娘が「そんなこと、できるようになったの」と驚く顔を見ると、うれしくなり、訓練に力が入った。

 現役時代も2回、命の危機に直面している。来日して5年目の夏、オートバイの事故で足を複雑骨折する大けがをした。「頭から落ちたら命が危なかった。足も後遺症が残るかもしれない」と医師から言われたほどだった。「まだ親孝行をしていない。もう一回サッカーをやらせてください」。毎日神様に祈った。幸い、翌シーズンに復帰できた。

 その5年後、肺炎を患った。眠ろうと横になるとせきが出る。寝汗で寝間着を3回着替える夜が2週間も。「ただの風邪」と思ったが、雨で練習が中止になった日に、病院を受診した。「肺炎だからすぐ入院して」と言われた。日本語で説明された「肺炎」の意味がわからず、ブラジル大使館に問い合わせた。「あの日、あのまま練習に出ていたら死んでもおかしくなかった」

 そして脳 梗塞こうそく 。血栓の場所が1、2ミリずれていれば、厳しい状態も予想された。「神様がまだ逝くなと……。誰かに守られている」と思う。


周りの笑顔と激励が「薬」

 3月の復帰記者会見でリフティングを披露した。後遺症を感じさせなかった。だが、実際には左足にまひが残り、バランス感覚も以前の5割程度という。「体の機能が100%戻らないことは分かっていた。90%までだったら、そこまで早く戻そう」と、リハビリに取り組んできた。

 リハビリで分かったことは2種類の痛みがあること。一つは体を休めて抑えなければいけない痛み。もう一つは、もう少し頑張れば良くなるのに、治ろうとするのを抑え込んでくる、克服すべき痛みだ。「この痛みを乗り越えれば先が見えてくることを、ほかの患者さんにも伝えたい」

 病院では、痛みで手足を動かせず、いらだちを見せる患者を目の当たりにした。自分も入院当初は、手が曲がったままで動かせず、トイレに行くにも車いす。同じ思いをした。脳 梗塞こうそく の痛みは、打撲や捻挫と違って他の人に説明しようがない。そんな時、身内や親しい人は、笑顔で「なんとかなる」と言ってあげてほしいと思う。リハビリが思うようにいかない時も、「治りが遅くなる」「わがまま」としかるのではなく、「よくやってるぞ」と抱きしめてあげることが、患者への「一番の薬」と力を込める。

 3年後は東京五輪。子供たちの夢をかなえる手伝いがしたいと思っている。

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