「秘密の風俗嬢」主婦〝殺人出産〟

客の子を自宅分娩、血で染まった浴槽で息絶えた幼い命 悲劇の始まりはセックスレス?

中高生の子供を育てていた「普通の主婦」は日中、性風俗店で働き、客の子を身ごもった。家族にひた隠しにして自宅の浴槽で女児を出産、そのまま死に至らしめる。殺人罪に問われた刑事裁判で「殺人でなく事故だった」と主張したが…


血で真っ赤に染まった浴槽の底で、産んだばかりの小さな赤ちゃんが力なく横たわっていた。風呂場で水中出産した女児をそのまま湯の中に放置して窒息死させたとして、殺人罪に問われた女(45)の裁判員裁判が7月、大阪地裁で開かれた。女は「普通の主婦」として高校生と中学生の子供を育てていたが、実は家族に内緒で性風俗店で働き、思いがけず客の子を妊娠してしまったのだ。大きくなるおなかを隠し通した末の自宅での出産だった。弁護側は女が出産当時、過呼吸に陥って意識がもうろうとしていたと主張し、「殺人でなく事故だった」と訴えたが、判決は女を「殺人犯」と認定した。

出産直後から家族の弁当作り

 「ゼーハー、ゼーハー」

 呼吸が荒くなる。体中の関節が外れて骨がばらばらになるような、腹が裂けるような激痛。過去の経験から陣痛だと分かった。

 昨年9月19日早朝、女は湯を張った浴槽の中にいた。入浴中に急にお産が始まったのだ。予定日まではまだ1カ月あったが、もう遅かった。風呂から上がる余裕すらなかった。

 公判では、当時の切迫した情景が被告人質問などから浮かび上がった。

 「ここで産むしかない」

 力を込めて息んだ。一旦力を抜いて「ハッハッ」と短く呼吸をする。もう一度息んで「ハッハッハッハ」。必死に繰り返すうち赤ちゃんの頭が見え、まもなく体がすべて外に出る感覚がした。続いて胎盤も排出されたのか、湯船はみるみるうちに自分の血で真っ赤に染まっていった。

 しばらく「頭がぼーっとしていた」という女。次に残る記憶として自ら挙げたのは、湯の抜けた浴槽の底に横たわる、へその緒がついたままの女の子の赤ちゃんの姿という。血の気のない真っ白な体は、ぴくりとも動かなかった。

女は浴槽の血を洗い流すと、赤ちゃんを胎盤と一緒に紙袋に入れ、さらにポリ袋で包み、1階の自室に隠した。そしてふらふらと2階の台所に上がり、家族の弁当を作り始めた。

 家族が外出した後、「赤ちゃんを出産したが死んだ」と病院に電話。3日後、死体遺棄容疑で大阪府警に逮捕され、最終的に殺人罪のみで起訴された。

朝夕は母親、昼は風俗嬢

 元気な産声を上げるはずだった赤ちゃんが不幸な死を遂げた背景には、女の「秘密」が絡んでいた。

 弁護側の冒頭陳述などによると、女は当時、夫と高校生の長女、中学生の長男と3階建ての自宅で暮らしていた。生活費の足しにするため、日中は中華料理店でパートで働き、月5万~6万円を稼いでいた。

 だが実は平成22年ころから、家族には内緒で性風俗店で働いていたという。女は理由として「パートの勤務時間を減らされ収入が減った」ことを真っ先に上げたが、「夫婦仲がうまくいっていないのもあった」とも述べた。夫とは当時セックスレスで、23年からは家庭内別居の状態だったという。

 朝は母親として2人の子供の弁当を作って送り出し、日中は風俗嬢として勤務。夕方には帰宅し、母親の顔に戻って子供たちの帰りを待つ毎日だった。

 確かに法廷の女は、風俗嬢とは思えないほど地味な印象だった。黒いパンツスーツ姿で、白いシャツは第一ボタンまですべて止まっていた。髪を無造作に引っ詰めた化粧気のない顔は、堅実そうな主婦ではあっても、風俗嬢の片鱗(へんりん)はない。

 女は性風俗店勤務の詳細は法廷で明らかにしなかったものの、勤務中は「一応避妊はしていた」と強調した。理由は分からないが、結果的に客の子を身ごもった。しばらく自覚もなかったが、妊娠7カ月の段階で産婦人科を受診し、ようやく気づいた。

医師にすぐ「誰の子か分からないから堕ろしたい」と願い出たところ、断られた。すでに中絶ができる法律上の期間を過ぎていたからだ。「堕ろせないなら産むしかない」と思ったが、「自分では育てられない」ため、隠れて産んで里子に出すことに決めた-と供述した。

 女の体形は中肉中背。誰もが妊娠という急激な体の変化に気付きそうなものだ。だが家庭内別居の夫とは顔を合わせなかったし、2人の子供たちには腹部の膨らみを「筋腫ができた」と説明していた。

過呼吸で意識もうろう?

 公判の争点は女が故意に赤ちゃんを湯の中に放置したのか否か。弁護側は女が当時、出産による過呼吸で「過換気症候群」を発症した可能性があり、「殺人でなく事故だ」と無罪を主張した。

 過換気症候群とは、不安やストレスが背景となって過呼吸になり、手足のしびれや意識障害を起こす症状のこと。弁護側は女がこれによって意識がもうろうとし、赤ちゃんを救えなかったと主張したのだ。

 捜査段階では「(赤ちゃんに)泣かれると家族にばれると思い、(湯から)すくい上げなかった」と供述していた女。だが、公判では「殺そうと考えたことはない。助けを呼んだり、湯から取り上げることはできなかった」と否認に転じ、ほとんどのことを「覚えていない」と繰り返した。

 弁護側証人として公判出廷した医師は「妊婦が出産時に過換気症候群に陥りやすいことはよく知られている」と説明。記憶が断片的なことも「意識障害を起こしていたとすれば説明がつく」と証言した。

陣痛中、娘にLINE

 本当に意識もうろう状態だったのか。検察側の冒頭陳述などをもとに、事件当日の女の行動を整理する。

 【午前6時22分】

 陣痛の最中、風呂場から長女にスマートフォンの無料通信アプリ「LINE」で、「今、上がれない。お母さんのカバンから(昼食代として)千円札持って行って」とメッセージを送信

 【数分後】

 湯船につかった状態で、風呂場に来た長女と顔を合わせ、「おなか痛くてお弁当作られへん」などと会話

 【同6時半ごろ】

 浴槽内で出産、赤ちゃん死亡

 【同6時45分ごろ】

 玄関先の長女に風呂場から「行ってらっしゃい」と声をかける。その後、風呂場の血を洗い流し、赤ちゃんの遺体を自室に隠す

 【同7時ごろ】

 2階の台所で長男の弁当作り。その後、長男を送り出す

 【同9時半ごろ】

 病院に「赤ちゃんを出産したが、死んでいる」と電話。看護師から119番をするよう言われる

 【同10時ごろ】

 大阪市の子ども家庭センターに「救急車を呼べといわれたが、まだ呼んでいない」と電話

 【同10時15分ごろ】

 家に駆けつけた同センター職員が室内で赤ちゃんの遺体を発見

主張も首ひねられ…実刑

 出産直後の女性の行動としては活発という印象だ。わが子を助けられないほどの状態だったと主張するには違和感をぬぐえない。

 被告人質問で「赤ちゃんを助けようと思わなかったのか」と問われると、女は「出産で体力を使い果たしてしまい、そこまで考えが至らなかった」と抑揚のない声で回答。遺体を見た後の状況も「頭の中が真っ白だった」と無表情で受け答えを続け、首をひねる女性裁判員もいた。

 結局、裁判員らが3日間の審理を経て下した判決は懲役5年(求刑懲役6年)の実刑。弁護側の過換気症候群との主張は「抽象的」と退けた。

 ただ、公判では、女が出産前に赤ちゃんの産着を買いそろえていたことも明らかにされた。そのエピソードからは、わが子の誕生を待ち望んだ母としての顔も浮かぶ。赤ちゃんの命の灯が消えようとした瞬間、女が何を考え、どう行動したのかは、公判では分からないままとなった。

 亡くなった女児は女の逮捕後、名前を付けられ、親族から死亡届が出された。

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